曖昧なことが嫌いで白黒つけたい性分も重なり、現在は検証する日々の医療職に従事しています。
しかし、写真を撮るようになり、昔ほど白黒はっきりしなくても気持ち悪くならなくなってきました。
白黒はっきりさせ、映えさせる綺麗な写真だけが写真ではないことを知り、被写体を綺麗にフレームに収めるだけが写真ではないことも知ることが出来ました。
もっと言えば、ブレていたりピンボケしていたりしていても写真によっては、良いなって、思える写真もあることを知ることも出来ました。
曖昧さ、分からなさという余白が、写真に奥行きを、思考には柔軟さを与えてくれるように感じられる。
これが、進化なのか退化なのか、許容なのかは分からない。答えがないことも、ある意味では答えなのかもしれない。
今年の写真は、「曖昧」「分からない」に関連したことがテーマになりそうです。